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男たちの大和
今年は、戦後60年に当たる年です。
戦後60周年記念で製作された、「男たちの大和は、総制作費25億円を投じた作品です。

1984年第3回新田次郎賞を受賞した、辺見じゅん著「男たちの大和」が原作です。
戦艦大和の乗組員や遺族から綿密な取材を行って書かれている作品です。

この映画のタイトル通り、戦艦大和の乗組員や家族をモデルにした映画です。

戦艦大和の起工は昭和12年11月4日で、4年の歳月を掛けた昭和16年12月16日に広島県呉市の海軍工廠で完成している。
昭和17年2月に、連合艦隊の旗艦をつとめた長門から旗艦を譲り受け山本五十六の将旗をあげることになる。
当時日本の技術の粋を集めた世界最大・最新鋭の戦艦でした。
その性能は、満載排水量7万2809トン、全長263メートル(東京駅と同じぐらいの長さ)、最大幅38.9メートル、最大速力27.46ノット、航続距離7200海里、主砲46センチ3連装砲塔3基を9門、副砲15.5センチ3連装砲塔4基を12門、高角砲12門、機銃25ミリ24門13ミリ4門、馬力15万馬力という性能で、その中で当時世界最大の主砲を持っていたのが特徴です。
この主砲の射程距離が42キロメートルという距離を時速2,800キロで1分間に60回転しながら飛んでいき敵艦を攻撃する能力があった、砲弾の長さは2メートル、重さ1.46トン、火薬の量は330キロという大きさと量を使用していた、また、主砲の砲塔1基の重さが駆逐艦1隻分に当たる重さがあったほどです。
しかし、この主砲はその最期までに311発しか撃てなかったことからも、呉軍港に浮かんだときには、巨艦大砲主義から航空母艦時代に移っていたので、遅れてきたヒーローでした。

大和建造に関しては、軍の極秘プロジェクトであったため、帝国議会の予算要求も偽の予算を要求して通過させている。
実際の建造予算は当時で1億1759万円(現在に換算して2600億円で東海道新幹線全線が完成する予算)で、排水量3500トンの戦艦と駆逐艦3隻に潜水艦1隻の建造ということで、昭和11年12月に帝国議会を通過している。

大和の艦内は、その粋を集めただけの機能があった、艦内通信は当時としては珍しい、艦内直通電話491本、外部電話回線1本を備えていた。
通常の伝送管も4611本装備している。

それに当時としては画期的な、冷暖房完備、エレベーターを装備していて、兵員の寝床はハンモックではなく寝台を使用していた。

食事は、栄養価は1人2800〜3000カロリー、1日6合(米7:麦3)、野菜300g、肉180g、魚150gと決められていた。
一つの釜で500人分の炊飯が可能な釜が、6斗炊き蒸気釜6個、6斗炊き副食釜2個が設備されていた。

このような装備により、他艦からは「大和ホテル」と揶揄されている。

昭和20年4月7日に撃沈されるまで、その性能は世界最大の精鋭艦であった。

ストーリーは元乗組員の回想から始まり、舞台は昭和19年から始まる。

そしてレイテ沖海戦を経て撃沈される昭和20年4月7日までを語っている。

まあ一度見てみてください。

大和と言えば、昔子供の頃、怪獣物の本が欲しかったのに、秋田書房の「戦艦大和と零戦」と言う本を買わされて読んだことを思い出します。
うちの親は、昔、陸軍航空隊少年兵を志願兵として甲種合格して兵役があるためか、そのような本を買わされて読んでいましたが、いま思えば歴史の勉強になっていたのかもしれません。

それに、むかし鹿屋基地を見学したときに、平和なことを感謝しました。

死ぬ日が決まっている恐怖と対峙する精神力は、いまの現代人では想像できないほどの世界だと思います。

すべての戦争で犠牲になった方々のために、ご冥福を祈ります。

関連サイト

大和ミュージアム

小説男たちの大和
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辺見 じゅん

決定版 男たちの大和〈上〉
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辺見 じゅん, 原 勝洋

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